アルゼンチン・コルドバ生活とその後

2018年4月から2年間、アルゼンチン生活。中南米生活、2ヶ国目。2016年から合計4年の海外赴任を終え、2020年5月10日帰国。

祝・帰国1年②「回顧録」

1️⃣遡ること2020年2月3日。


横浜港沖に到着した

ダイヤモンド・プリンセス号のニュースを

コルドバのアパートで見た時は、

まだ他人事だった😒



↑コルドバのアパート


「3月に帰国するけど、

その頃には収まっているだろう」


なんて簡単に思っていた。


だって、日本だもん😚

日本なら、

なんとかするだろうと信じていた。

日本なら、

大丈夫だろうと安心しきっていた。


しかし、

日本の安心安全伝説は崩れ去った😩


世界から非難轟々。


でも、あの時は初めてのことで

どこの国であろうとも、

どうしようもなかったのだと思う。


プリンセス号内はもとより、

日本国内でどんどん広まるコロナ😱


「おーその渦中に帰国するのか。

ここアルゼンチンにいた方がいいかも。」


なんて、トボケたことを言っていた私😅


2️⃣2020年3月3日

ブエノスアイレスで、

初のコロナ感染者が確認される。


翌日から、瞬く間にアルゼンチン全土に

コロナは広がっていった😱


C国の人々が、

撒き散らしたコロナは見る見る間に

世界に広がっていったのだ。


もうどこも安全ではなかった。

逃げるところはなかった。


それでも、コルドバを脱出し、

日本に戻りたかった。


日本食、物資の宅配システム、

日本語の通じる医師がいる祖国が

恋しかったあの頃😫


3️⃣1年経って、

あの頃のブログを読み返せるほど

心の傷も癒えた😄


しかし、時々、朝、目が覚めて

自分がどこにいるのか、分からない時がある。


悪夢の8週間隔離生活を送ったコルドバなのか、

その前にいた某国なのか、

日本の自宅なのか。


しばらく、天井を見て考える時がある。


これは、何かの後遺症?😅