アルゼンチン・コルドバ生活とその後

2018年4月から2年間、アルゼンチン生活。中南米生活、2ヶ国目。2016年から合計4年の海外赴任を終え、2020年5月10日帰国。

叔母

お星様になった

叔父(母の弟)の話をしたからには、 

叔母の話もせねばなるまい😚


お棺を見守る叔母


1️⃣叔母は、K国出身。

叔父とは、ひと回りほど歳が違う。


30年以上前、叔父は、

40代で国際結婚をした😳


周囲のみんな、叔父は、

もう結婚しないものだと思っていた。

祖母は、完全に諦めていた。


だから、急に叔母と結婚、

しかも国際結婚したことに

私たちは驚きを隠せなかった😱


当時は、今のように

簡単に国際結婚はできず、

非常に煩雑な手続きを踏んで、

叔父は叔母を日本へ連れて帰ってきた。


すごい情熱家じゃないか😳

叔父の意外な一面だ。


あの牛のような叔父からは想像できない。

背が高く、がっしりした体つき。

そして、牛のように

のそーっとしていた🤣


2️⃣最初の数年は、

福岡以外の都市に2人で住んでいた。


数年後、叔父の病気・手術を機に

福岡の祖母の元へ転居してきた。


叔母は、まだあまり日本語が話せなかった。


3️⃣叔父は手術後、リハビリが必要で、

普通には働けなくなった。それで、

叔母がスナックで働き始めた。


「そのほうが、日本語も上手くなるだろう」

という目論見もあった。


あれから、30年以上、

ずっと叔母は働いているが、

アグネスちゃんと同じような話し方だ🤣🤣🤣


もちろん、出会った当初に比べれば、

話すほうは、断然、上手になっている。


しかし、

人の話は、40〜50%しか理解できていない。


日本語力不足だけではなく、

叔母の性格もある。


なるべく、噛み砕いて、

簡単な標準語を使って、

何度も繰り返し説明する必要がある。


叔母の「分かりました」を

簡単に信じてはいけない😣


4️⃣日本語力はそんな具合だが、

叔母は、長いこと献身的に

叔父の世話を1人でしてきた。


『彼女だから、動けなくなり、

わがままばかり言う叔父を

最期まで見捨てずに看取ってくれたのだ』

と私たちは心から感謝している😍


亡くなった祖母は、気嫌いしていたが、

叔母は、心の優しい気の利くお嫁さんで、

祖母にも尽くしていたように私は思う。


確かに、

日本人にはない考え方をすることはある。

でも、それは仕方がない。


お互いに、歩み寄って、

よ〜く話し合えば良いし、

分からないことは、じっくり時間をかけて

説明してあげればいいのだ。


その叔母のおもしろ話は、次回に🤗