叔母
お星様になった
叔父(母の弟)の話をしたからには、
叔母の話もせねばなるまい😚
お棺を見守る叔母
1️⃣叔母は、K国出身。
叔父とは、ひと回りほど歳が違う。
30年以上前、叔父は、
40代で国際結婚をした😳
周囲のみんな、叔父は、
もう結婚しないものだと思っていた。
祖母は、完全に諦めていた。
だから、急に叔母と結婚、
しかも国際結婚したことに
私たちは驚きを隠せなかった😱
当時は、今のように
簡単に国際結婚はできず、
非常に煩雑な手続きを踏んで、
叔父は叔母を日本へ連れて帰ってきた。
すごい情熱家じゃないか😳
叔父の意外な一面だ。
あの牛のような叔父からは想像できない。
背が高く、がっしりした体つき。
そして、牛のように
のそーっとしていた🤣
2️⃣最初の数年は、
福岡以外の都市に2人で住んでいた。
数年後、叔父の病気・手術を機に
福岡の祖母の元へ転居してきた。
叔母は、まだあまり日本語が話せなかった。
3️⃣叔父は手術後、リハビリが必要で、
普通には働けなくなった。それで、
叔母がスナックで働き始めた。
「そのほうが、日本語も上手くなるだろう」
という目論見もあった。
あれから、30年以上、
ずっと叔母は働いているが、
アグネスちゃんと同じような話し方だ🤣🤣🤣
もちろん、出会った当初に比べれば、
話すほうは、断然、上手になっている。
しかし、
人の話は、40〜50%しか理解できていない。
日本語力不足だけではなく、
叔母の性格もある。
なるべく、噛み砕いて、
簡単な標準語を使って、
何度も繰り返し説明する必要がある。
叔母の「分かりました」を
簡単に信じてはいけない😣
4️⃣日本語力はそんな具合だが、
叔母は、長いこと献身的に
叔父の世話を1人でしてきた。
『彼女だから、動けなくなり、
わがままばかり言う叔父を
最期まで見捨てずに看取ってくれたのだ』
と私たちは心から感謝している😍
亡くなった祖母は、気嫌いしていたが、
叔母は、心の優しい気の利くお嫁さんで、
祖母にも尽くしていたように私は思う。
確かに、
日本人にはない考え方をすることはある。
でも、それは仕方がない。
お互いに、歩み寄って、
よ〜く話し合えば良いし、
分からないことは、じっくり時間をかけて
説明してあげればいいのだ。
その叔母のおもしろ話は、次回に🤗
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