1️⃣福岡まで戻った私に何ができたか。
彼女の話を聞いてあげること
一緒に泣いてあげること
だった。
2️⃣でも、私の経験上、
友達が来てくれると、踏ん張れる。
泣き崩れてしまうが、何とか最後まで
しっかり見送ろうと頑張れる。
それが友達パワー😊
3️⃣
「貴方は1人じゃない。
たくさん友達がおるんやけん、
これからは、友達を頼れ。」
と伝えた。
私にできることは、それぐらいだった。
生きる気力を失った友を遠くからだが、
私なりに支え続けたいと思う。
それが私に与えられた使命。
1️⃣福岡まで戻った私に何ができたか。
彼女の話を聞いてあげること
一緒に泣いてあげること
だった。
2️⃣でも、私の経験上、
友達が来てくれると、踏ん張れる。
泣き崩れてしまうが、何とか最後まで
しっかり見送ろうと頑張れる。
それが友達パワー😊
3️⃣
「貴方は1人じゃない。
たくさん友達がおるんやけん、
これからは、友達を頼れ。」
と伝えた。
私にできることは、それぐらいだった。
生きる気力を失った友を遠くからだが、
私なりに支え続けたいと思う。
それが私に与えられた使命。
1️⃣悪魔的言動から脱皮して、
普通⁇の考え方ができるようになったのは、
全て友人たちのおかげ。
特に彼女は、私とよく似た環境に育ち、
考え方も近かった。
そして、
同じくらい喧嘩早かった😅
ただ言動に私のような悪魔的なところは、
全くなく、いつも私を諌めてくれた。
クラスで孤立しそうになった時も、
彼女が助けてくれた。
私のことを理解してくれる
数少ない大事な友である。
「こういう時に、飛んでいって慰める、
そばにいてあげるのが友達じゃないか。
今こそ、恩返しをせねばならない。」
と思い、帰省した。
2️⃣お父さん、お姉さんの時には、
まだ彼女には、寄り添ってくれる家族がいた。
しかし、今回はもう誰も彼女に
寄り添える家族がいない😩
甥っ子が1人いる。
お姉さんの1人息子。
彼女は、その子が生まれた時から
溺愛していた。
忙しいお姉さんに代わり、
よく面倒を見ていた。
しかし、その子も、今は結婚し、
自分の家庭がある。
3️⃣親兄弟に敵うものは、
この世にないことは分かっている。
長年の友達であろうが、
お互いに踏み込めないゾーンがあることも
分かっている。
でも、血の繋がっていない友達に「しか」
できないこともあると思う。
友達「にも」できることがあると思う。
4️⃣空港到着後、
まっすぐ彼女の家へ向かった。
お母さんは、家に帰りたがっていたから、
連れて帰って来たという。
お父さん、お姉さんの時も、
家に連れて帰り、家から出棺した彼女。
彼女のこだわり。
5️⃣最寄りの地下鉄駅まで、
私を迎えに出て来てくれた友。
顔を見た途端、2人で抱き合い号泣😭
私は「長いこと、1人で頑張ったね」
と声をかけた。
すると、彼女は
「私が、頑張ったんじゃない。
お母さんが、生きよう、治ろうとして
頑張ってきたの。」と言う。
「おぉ、なるほど。そういう考え方か。」
と驚いた。
長年、介護をしてきた友の言葉。
それが、
彼女を支えてきたんだなぁと思った。
「美学」を感じた。
私が彼女の立場だったとして、
そういう考え方ができるだろうか。
彼女を心から尊敬した瞬間だった。
旅の話は、中断中だが、
ちょっと書き残しておきたい。
今日は、6/30(日) 福岡に帰省中。
土曜日早朝、急遽福岡に戻ってきた。
友人のお母さんの訃報を聞いたからだ。
土曜日早朝の羽田空港
朝イチの飛行機に乗る。
お店は開いていないし、
まだ人も少ない。
自宅から羽田空港までの
経路・時間を確認せずに
飛行機のチケットを買ったため、
愛方に空港まで送ってもらう羽目になった😩
ごめんなさい🙏
1️⃣金曜日早朝
友人本人から LINE連絡があった。
「昨日(木曜日)お母さんが
病院で息を引きとった」と。
2️⃣彼女は、高校の同級生。40年来の悪友。
そして、彼女のお父さんは、
私の高校2年・3年時の担任であった😅
お父さん、お姉さんの2人が難病で亡くなり、
お母さんと2人、頑張って生きてきた彼女。
ここ数年は、お母さんが要介護になり、
自宅での介護と仕事で大変そうだったので、
私もLINEで話すだけになっていた。
お母さんの介護は大変だったと思うが、
それが彼女の生きる支えになっていたのだ
と思う。
弱音を吐いたことがない彼女が、
金曜日に泣きながら電話をしてきた。
私の「大丈夫か?」という問いかけに
「もう大丈夫じゃない‼︎」と答える友。
そりゃぁ、私も帰らずにはいられない。