アルゼンチン・コルドバ生活とその後

2018年4月から2年間、アルゼンチン生活。中南米生活、2ヶ国目。2016年から合計4年の海外赴任を終え、2020年5月10日帰国。

記録 その1

アガシ

久々のブログ


今回、愛方のために記録しておかねばと思い

記事を書くことに…


1️⃣2025年8月26日


日産GT-R生産終了


最後の1台が栃木工場で生産された。



そのセレモニーが行われるということで、

愛方も朝早く栃木に向かった。


この車が立ち上がるまで

この工場に彼は何度出張したことか。


私の姉は「栃木に彼女がいるのでは?」

と疑ったほどだ🤣🤣🤣


2️⃣2007年に復活したGT-R


愛方は、長年その設計に携わってきた。

きっと感慨深い1日だったろうと思う。



3️⃣愛方は、よく頑張った。


私が思い出すのは、

今はいない上司M氏に

グリグリと鍛えられ、

悔し涙を流していた愛方の姿。


一時期は、どうなることかと心配もした。


愛方もまだ若かったから

M氏の期待に応えられなかったのだと思う。


それでも、途中で投げ出さず、

最後まで喰らい付いた方。


彼の忍耐・努力・根性は超一流だと私は思う。


周囲の人たちにも恵まれた。

手厚いサポートのおかげでクビにならず、

最後まで成し遂げることができ

今の愛方がある。


皆様に感謝🙏


4️⃣愛方がセレモニーに参加できたことを

心からありがたく思う。


そばで支えてきた?私の日々も

報われた気がする。


GT-Rの復活が先か、愛方の定年が先か。

ここまできたら見届けねばなるまい。


(★写真2枚は「くるまのニュース」よりお借りしました)

弔問 その3

アガシ

1️⃣福岡まで戻った私に何ができたか。


彼女の話を聞いてあげること

一緒に泣いてあげること


だった。


2️⃣でも、私の経験上、

友達が来てくれると、踏ん張れる。


泣き崩れてしまうが、何とか最後まで

しっかり見送ろうと頑張れる。


それが友達パワー😊


3️⃣

「貴方は1人じゃない。

たくさん友達がおるんやけん、

これからは、友達を頼れ。」


と伝えた。


私にできることは、それぐらいだった。


生きる気力を失った友を遠くからだが、 

私なりに支え続けたいと思う。


それが私に与えられた使命。

弔問 その2

アガシ

1️⃣悪魔的言動から脱皮して、

普通⁇の考え方ができるようになったのは、

全て友人たちのおかげ。


特に彼女は、私とよく似た環境に育ち、

考え方も近かった。


そして、

同じくらい喧嘩早かった😅


ただ言動に私のような悪魔的なところは、

全くなく、いつも私を諌めてくれた。


クラスで孤立しそうになった時も、

彼女が助けてくれた。


私のことを理解してくれる

数少ない大事な友である。


「こういう時に、飛んでいって慰め、

そばにいてあげるのが友達じゃないか。

今こそ恩返しをせねばならない。」


と思い、帰省した。


2️⃣お父さん、お姉さんの時には、

まだ彼女には、寄り添ってくれる家族がいた。


しかし、今回はもう誰も彼女に 

寄り添える家族がいない😩


甥っ子が1人いる。

お姉さんの1人息子。


彼女は、その子が生まれた時から

溺愛していた。


忙しいお姉さんに代わり、

よく面倒を見ていた。


しかし、その子も今は結婚し、

自分の家庭がある。


3️⃣親兄弟に敵うものは、

この世にないことは分かっている。


長年の友達であろうが、

お互いに踏み込めないゾーンがあることも

分かっている。


でも、血の繋がっていない友達に「しか」

できないこともあると思う。


友達「にも」できることがあると思う。


4️⃣空港到着後、

まっすぐ彼女の家へ向かった。


お母さんは、家に帰りたがっていたから、

連れて帰って来たという。


お父さん、お姉さんの時も、

家に連れて帰り、家から出棺した彼女。


彼女のこだわり。


5️⃣最寄りの地下鉄駅まで、

私を迎えに出て来てくれた友。


顔を見た途端、2人で抱き合い号泣😭


私は「長いこと、1人で頑張ったね」

と声をかけた。


すると、彼女は

「私が、頑張ったんじゃない。

お母さんが、生きよう、治ろうとして

頑張ってきたの。」と言う。


「おぉ、なるほど。そういう考え方か。」

と驚いた。


長年、介護をしてきた友の言葉。


それが、

彼女を支えてきたんだなぁと思った。


「美学」を感じた。


私が彼女の立場だったとして、

そういう考え方ができるだろうか。


彼女を心から尊敬した瞬間だった。