1/3 冬休み最終日
1️⃣あっという間に、休みが終わった😖
災害続きで、心休まらない方々も
たくさんいらっしゃる中、
自宅でお正月の3日間を
無事に愛方と過ごせたことは
幸せだと思わねばならない。
羽田空港の炎上事故は、
日本航空の乗客・乗務員全員無事だったが、
海保機に乗っていた6人中5人が亡くなった。
能登に救援物資を運ぶはずの機体が
なんてことに…
まさか、まさかの2日間。
2️⃣この2日間、
色々と思い出したことがある。
2017年9月7日のメキシコ大地震(M8.2)
あの時、
私たちはメキシコシティに住んでいた。
まさか、日本以外の地で、
大地震に遭うとは思いもしなかった。
(あの日は、3.11を思い出したな🤔)
発生は、夜中0時前。家には、私1人。
その日、愛方は出張で
メキシコシティを離れていた。
住んでいた副都心サンタフェの街並み。
ここだけ見ると、メキシコではなく、
アメリカのようだった。
住んでいたのは、18階。
恐ろしく揺れた😱
メキシコは、日本とは違い耐震ではないため
バリバリ怖かった。
すごい音を立てて揺れる中、
私は逃げ道を確保するために
玄関と非常階段に続く扉を開けた。
住人はみな、非常階段を転がるように
降りていた。それに混じって、
階段を降りる方が危険と判断。
隣人と共にエレベーターホールで
じっと耐えることにした。
そのとき、
「日本は、地震大国だから慣れてるでしょ?」
と隣人は私に言ったが、慣れるはずがない‼️
3️⃣ 地震があるたびに思い出すのは、
小学5.6年時の担任のことば。
当時、故郷の福岡で地震はほとんどなく、
学校で「地震があったらどうするか?」
という話が上がった。
その時、担任が
「みんなで、地面を押さえれば大丈夫」
と言った。
中学で、地層や地震のことを勉強するまで、
私は、その言葉を信じて生きていた🤣🤣🤣
私が、最初に大きな地震を感じたのは、
中3生のとき。
夜中に受験勉強をしていて、
机がガタガタと揺れた。
机を押さえながら、
「あの時の担任の言葉は、間違いなく嘘だ‼️」
と確信した。
4️⃣コロナに引き続き、
教訓を得た2日間となった。
私の身にも、
いつ何が起こるか分からない。
日々、精一杯生きる。
そして、もしもに備えて、
ある程度の物品の備えと
心の準備をしておきたい。
おっ‼️遺言書も書いておかねば😆
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