アルゼンチン・コルドバ生活とその後

2018年4月から2年間、アルゼンチン生活。中南米生活、2ヶ国目。2016年から合計4年の海外赴任を終え、2020年5月10日帰国。

神仏はいるのか

この数年、

神仏について深く考えることがある。


1️⃣中学1年からの大親友が、

昨年、頭の血管手術をした。


しなければ、命が長くないかもしれない。

すれば、命は延びるが、

もしかすると何らかの後遺症が、

出るかもしれないという難しい決断を

迫られていた。


私と同じく、健康優良児だった彼女。

まさか、まさかの出来事だった😖


社会人1年目の夏、2人で湯布院旅行


2️⃣私は

命が延びるなら、先生を信じて、

手術して欲しい」

と伝えた。


それが、昨年のGW前のこと。

手術は、GW明けに行われた。


3️⃣あれから、約1年。


彼女は要介護者となり、

今年3月、仕事を辞職。


週2回、デイサービスに行き、

週3回、訪問リハビリ要員が

通って来ているらしい。


4️⃣彼女のメールには、


【人生が激変した一年であり、

当たり前の貴さが身に沁みた一年になった。

今、息できてるだけで、ありがたい。

この一年は、奇跡の一年になるといいな。


諦めない◯◯より】


と書いてあった😭😭😭


5️⃣それに対して、


【私たち昭和の人間は、

「努力、忍耐、根性」やけん、何とかなる‼️


私が、あちこちの神仏に祈ってやるけん、

任せときぃ。】


としか返信できなかった私😖


6️⃣彼女は、高校・短大の5年間、

そして私は短大の2年間、

宗教学校で「浄土真宗」を学んだ。


それもあり、長いこと神仏については 

信じてきた。


自分のためではなく、

周囲の人のために信じて祈ってきた。


子供の頃に

悪魔のような言動をしていた私が

自分のことを祈っても無理だと分かっている。


んでも、こんな私のことを見捨てずに

温かく見守ってきてくれた仏様なような

周囲の人々を救ってくれてもいいんやない?


なのに何で試練を与える‼️


と神仏に訴えたい。